気まぐれ日記 06年1月

05年12月はここ

1月1日(日)「風さん一家の元旦風景の巻」
 昨夜というか今朝の就寝は遅かったが、何とか目覚ましで起きた。連休中の起床時刻は着実に毎日1時間ずつ早まっている。急いで支度してミッシェルで出かけた。元旦恒例の初売りに出動である。目的地は、某大型店での高崎だるま抽選。
 非常に穏やかな陽気である。ついこの間の寒波が嘘のようだ。元旦の道路はいつも空いているので走りやすい。ついミッシェルのアクセルを踏み込んでしまう。さらに道を間違えて山越えコースに進入した。気持ちよく走っているうちに、30km/Hも速度オーバーしている!
 昨今の商店は、大晦日まで開店していて、さらに元旦から営業なので、初売りの価値が低下している。入り口の前の行列はたいしたことなかった。それで、喉が渇いていたこともあって、自動販売機で缶紅茶を買った。120円入れたつもりが、ジャラジャラっとおつりが90円出てきたので、「こいつぁ、春から縁起がいい」と喜んだ・・・のだが、冷酷な頭の計算機は非情の結論を下した。
 本人は百円玉1個と十円玉2個を投入したつもりなのだろうが、ボケているものだから、実は百円玉2個と十円玉1個を投入したのだ。210円で120円の缶紅茶を買ったので、おつりが90円出ただけである!
 先着順にもらえる干支の絵皿ももらえた。抽選の高崎だるまは、初めて一番小さいやつが当たった。出版が決まれば目玉を入れる予定のだるまがまた増えたわけではある。
 帰宅して新聞で年末ジャンボをチェックした。まるでカスリもしていなかった。喪中を知らせるハガキを出していても、やはり年賀状が何枚か来ていた。ワイフはキッチンに立っていて、長女は私より早く起きてバイトに出かけていて不在、次女は寝坊なので姿が見えず、まもなく下宿人のような長男が降りてきた。部屋が暖まってきたので、2匹の猫は元気に活動している。
 ブランチのようなおせちになった。お屠蘇として、この間の健康ハイキングのときに買った純米吟醸を開けた。これが実に美味かった。そして、かなり酩酊した。雑煮を食べて、昨夜のビデオ「タイタニック」の続きを観た。・・・そのままソファで夕方までダウン。
 晩御飯のときにやっと家族が全員揃った。おせちが並んでいても新年の祝いの言葉はない。やっと長女にお年玉を渡した。初詣が終了するのはいつになることやら。子供が大きくなると、家族が統一行動をとるのは難しい。
 夕食後、私は昨年の元旦に購入したPSPのアップデートに挑んだ。寝る前に、昨夜、数年ぶりに動かしたわがままカプリロを、もう一度動かそうと思っている。・・・なーんだ、これじゃ、子供と同じか(笑)。

1月2日(月)「映画と同じように小説も進化しなければ・・・の風さん」
 朝食後、ワイフと近くの神社に初詣に行った。出がけに書斎の前に積んである荷物の中に破魔矢を発見した。見てびっくり。平成戌年(いぬどし)と印刷してある。12年前のだ! 今年一年大事にしよう。
 珍しく畏まって参拝。二礼二拍手一礼。ちょっと間違えた。二拍手の前に祈願しなければいけないのに、最後の礼の後であれこれとたくさん祈念してしまった。
 それから、これまた近くにある我が家の墓にお参り。昨年亡くなった父の霊は、常に我が家にいるので(そう思うことにしているので)、墓はきれいにしておけばいいのだ。それでもお骨はこの墓の下にある。ろうそくを灯し、線香を立てた。昨夜からだいぶ雨が降ったようだが、絶好のお日和である。
 子供らもそれぞれの行動をしているので、ぼくらはかねて予定していた映画を観に行った(と言いながら、実は私が観たかったのだが)。「キングコング」である。私が50歳を過ぎた52歳なので、免許証を見せて、二人で2000円でチケットを購入できた。上映まで少し時間があったので、同じ建物の中にあるゲーセンに連れ込まれた(ワイフに)。UFOキャッチャーに手を出して、500円で何も取れなかったが、ワイフは200円でディズニーのマスコットを4個もゲットした。遊び人だな、オレの女房は! ご褒美に、ねだられたガチャをやらせた。200円でまたマスコット。これもディズニーだ。
 「キングコング」は3時間近い大作だった。恐らくグループで議論しながらアクションを考えており、これでもこれでもか、といったあり得ないシーンが連続する。
 コンピューターグラフィックの力だと思うが、明らかに映画は技術も内容も進化していることを感じる。
 小説だって同じだろう。進化していなければ世に問う価値はない。
 映画を観に行っても勉強を怠らない風さんであった。

1月3日(火)「忙中忙のみ・・・の風さん」
 昨夜から風が強い。天気は下り坂だ。だんだん冬期休暇も残りが少なくなってきている。焦る。
 大晦日の夜から始めた書斎の整理が何とか一段落し、どうにか掃除機を入れることができた。
 近所の図書館から借りている本も、今日やっと読み終わった。これも執筆中の原稿に必要な本だったので、やれやれである。
 昨年喪中ハガキをずいぶんと送ったが、やはり来るものは来る。三が日だけで年賀状がけっこうたまったので、寒中見舞い兼欠礼お詫びハガキを印刷した。あと二日様子を見て、5日に投函するつもりだ。
 昨年の経費計算の中で、書籍購入費の合計を出していなかったので、今日やっとやり終えた。出版がない年は、意外と少ない。そりゃそうだろう。出版があると自腹で大量に買って、そこらじゅうにばらまくのだから(笑)。
 自分のこともちゃんとできていないくせに、他人の自費出版の手伝いをしている。今日もコンビニへ行って、とりあえず生原稿104枚のコピーをとった。このコピーは友人へ送って、アルバイトにテキストデータ化してもらうのである。あと200枚強のコピー作業が残っている。
 雑多なことばかりしている冬期休暇だが、PSPでネットにつながるようになったのはうれしかった。
 夜も遅くなってくると、そろそろ寝ようか、ということになるのが普通だが、この冬休み中はワイフのトール教室のホームページ作りである。これがなかなかできない。
 当ホームページのアクセスカウンターは、昨年末目指した70000をまだ越えない。上に書いたような話題ばかりでは、飽きられるわなあ。

1月8日(日)「やっと新作のプロットを送信・・・の風さん」
 たった二日間の会社出勤だったが、ひどく疲れた。会社で既に元気がなかったわけではない。短時間にモーレツに動き回ったので疲れたのだ。昨日は、本社に出張している間にミッシェルにETCを装着してもらい、帰りにミッシェルを受け取ると、そのまま床屋へ直行した。床屋ではしっかり爆睡して疲労回復をはかったが、その程度で復活できるほどタフな風さんではなかった。
 帰宅してからもどうにも疲労感が抜けず、さっさと就寝した。
 それで、今朝は約9時間の睡眠で元気いっぱい起きることができた・・・筈だった。
 今日の決意は、某社へのプロット提出である。
 これまで問題だったのは、ついつい調査にのめり込んでしまい、肝心のプロットが書けなかったことだ。それで、今日は、新規に調べることは一切やめることにした(これまで調べた結果を再確認するのは良しとして)。
 午前中からひたすら想像力を駆使してストーリーを考えた。しかし、この、無から有を生み出す作業はなかなか手ごわい。夕方までかかって全体の4分の3ができたが、起承転結でいえば、転結の一番大事なところで引っかかった。どうにも面白くないし、しまりもないのだ。色々な映画を観て勉強している筈なのに・・・。
 近所の図書館に本を返す日だったが、明るいうちに行けず、夕食前に飛んで行った。当然、図書館は既に閉館していてポストへ放り込むハメに。
 夕食後は、今週の出張スケジュールを考えなければならず、それにかなり手間取った。
 ようやく午前零時近くなって、再びプロットに着手。しばらく奮闘していたら、書斎のドアが開いて、誘惑の声。
 「一杯飲み魔性(ましょう)よ」(ワイフ)
 私はプロットのファイルを執筆マシンからモバイルのアシュレイに移しかえて、階下へ降りて行った。
 午前2時半。ようやくプロットができかけたので、ワイフに「おやすみ」して、書斎へ。
 出版社へメール添付して送信したのが、午前3時過ぎ。それから入浴して寝たので、本当に就寝したのは午前4時である。

1月9日(月)「ときどき電気屋さんになる小説家の巻」
 7時の目覚ましでいったん目を開けたが、またすぐに眠りに落ちてしまい、本当に起床したのは、その40分後だった。やばい! と思ったが仕方ない。朝食抜きで出社。かろうじて間に合った。
 昨日の睡眠不足のせいで一日眠かったが、何とか持ちこたえた。
 今日は定時でさっさと上がり、帰りにコンビニで104枚のコピーをとって。これは知人の自費出版の手伝いに関する仕事で、これで312枚のコピーが終わった。
 昨日でプロットが終わったのだから、これでやっと本来の執筆ができると思いきや、そうは問屋が卸さない。
 新鷹会の関係の手紙を書いたり、あれこれ雑用が待っていた。
 そうこうしている間に、書斎のドアが開いて、誘惑の声。
 「あなた。石油温風ヒーターが壊れたみたい」(ワイフ)
 こういうのに私は弱い。突如、小説家は電気屋に変身して、庭にあるログキャビンへ出動。
 問題のあった機種ではない。
 メインスイッチを押しても点火・作動しないのである。スイッチそのものの機械的な動きは正常なのに、点火しないということは、これは電気的な問題。私の直感では接触不良だ。
 さっそくドライバーで分解を開始。ようやく中の基板や配線が見えてきて、ソケットで接続されている部分があったので、きゅっきゅっと押したり引っ張ったりした。
 あらためてコンセントをつないでスイッチを入れてみると、カチッと頼りがいのある音がして、しばらく待つうちに無事点火した。やったー!
 ところで、問題の石油温風ヒーターの更新だが、室外の取り付け部品の入荷遅れで、まだ工事ができないでいる。早く暖かい部屋に戻ってほしい。

1月10日(火)「おばさんバージョンのケータイとは・・・の風さん」
 家族が皆ケータイを持つ時代となっている。我が家も例外ではない。今日、驚くべき発見があった。
 「お母さんのケータイ、おばさんバージョンになってる!」
 「???・・・」
 そもそも漢字の変換から始まった。かむろ→禿 となるか。現代的な次女の名前は一気に出てくるか。テレビ番組などはどうか。そうして試していると、ワイフのケータイは変換されなかったが、次女のケータイでは変換されたのである。それなら、こんなのはどうか、あんなのはどうか、とエスカレートしていったら、次女のケータイには、現代の若い女性向きの単語が辞書登録されていて、ワイフのケータイには、・・・おばさん用語が・・・ということが判明したのである!
 たとえば次女のケータイでは、すま、と入力しただけで、もうSMAPが候補として出てくるのに対し、ワイフのケータイでは、ぺよ、と入力しただけで、ペ・ヨンジュンが出てくるし、ひかわ、と入力したところで、氷川きよしが出てくるのである。この逆が起こらないところが凄いのである。

1月11日(水)「子供の世界・・・の風さん」
 知人の作家楠木誠一郎さんは若い人向きの小説を書いて売れている。トップページにも紹介している通りである。若い読者を刺激することは、ケータイに毒された感のある若人の啓蒙に意義がある。単語変換で面白いことは確かに面白い。一方で、やはり正しい日本語を学ばなければいけないのである。ケータイは日本語を学ぶための道具ではないから、正しい日本語は、ちゃんとした文章でできた文学や評論、新聞記事などで学ばなければならない。それには、編集者や校正者の手を経た書物から学ぶべきである。
 ちょっと硬いことを書き過ぎた。
 トップページに紹介してある青少年向けの文学作品として、たからしげるさんの『ミステリアスカレンダー』と『ラッキーパールズ』を紹介したい。『ミステリアスカレンダー』はアイデアに富んだ、不思議な話がたくさん次々に出てくる。小学生のころは、こういったちょっと不思議な話も本当のこととして受け入れる心の準備ができていた。それだけ世の中は感動と興奮に満ち溢れていたのである。『ラッキーパールズ』では、50歳を過ぎたおとなが子供のころを思い出しているのだが、この年まで経たおとなの視点で見ても、やはり子供のころというのは、時間も空間も途方もなく長大で、抱きしめたいほど輝いていたことが分かる。
 ついつい難しいことを書き過ぎるわたしには、こういった子供の世界を描くことができるのだろうか。それができないとするなら、おとなの世界だって、本当は描けていないのに違いない。

1月12日(木)「他人の喜びが自分の喜び・・・の風さん」
 上京したついでというか、帰りに天王洲アイルにある「Net Rush」のスタジオに寄った。人と情報の研究所の北村三郎さんと待ち合わせて、「Net Rush」の真咲なおこさんを紹介するためだった。
 私は「人生の醍醐味は人と人との出会いにある」と思っている。宇宙誕生以来、果てしなく続く時間と広がりつつある空間の中で、ある人とある人が、同じ時間と空間を共有することは奇跡である。一期一会は大切にしたいし、出会いの演出はお節介だろうが、たまには何かの貢献になる。
 今回の出会いのキーワード(共通点)は企業と起業のつもりだった。ところが、話題はどんどん変化していき、末期医療の問題から企業風土まで展開された。
 1時間半ほどの懇談の中で、お二人は珠玉の言葉を何度となく語られた。
 その中から、二つだけ書き留めておきたい。
 先ず、北村三郎さんの言葉。
 「人生で、たくさん登る山があっても、どれかに決めて人は登っていく。裾野にいるときはどの山に登る人か見極められないけれども、8合目の山小屋で偶然出会ってみると、同じ山に登ろうとしている仲間だということが分かる」
 人生の後半にさしかかって初めて分かる、含蓄のある表現だと思いました。
 二つ目は真咲さんの言葉で、これは3人の共通認識でした。
 「他人の喜びが自分の喜び」
 このことから、あらためて気付いたのは、結局、「高い志が優先順位を決める」ということで、さまざまの手段の選択に迷うけれども、目的を見失わなければ手段の巧拙は本質的な問題ではないわけだ。
 今日という1日は、1年にも10年にも相当する価値のある時間だった。

1月13日(金)「軽い父親の座・・・の風さん」
 うちには3人の子供がいて、毎年のように入学や卒業というか受験の季節がめぐってくる。いきおいダイレクトメールや塾・家庭教師派遣の勧誘電話も多い。
 こんな笑える事件があった。
 例によって休日に私が留守番をしていて、電話がかかってきた。
 「はい。**です」(私)
 「@@君(息子)かお母さんはいますか?」(⇒塾勧誘の電話と直感!)
 「いいえ。二人とも留守にしていますが」(私)
 「それでは、けっこうです。またかけ直します」
 おいおい。オレは@@の父親だぞ。父親を説得する気はないのか? 父親には塾に入るか入らないかの決定権はないと思っているのか?
 ちなみに、勉強の嫌いな子供たちを有名校へ入れる気は、私には全くない。

1月14日(土)「長谷川伸と新鷹会・・・の風さん」
 私は、財団法人新鷹会の理事も務めている。新鷹会については、私のホームページでもいくらか紹介しているが、最近、テスト的に新鷹会のホームページもアップされた。ひと言で説明するなら、新鷹会は、『瞼の母』『一本刀土俵入』『沓掛時次郎』といった股旅物の小説や戯曲で有名な長谷川伸の衣鉢を継ぐ作家が集まってできた、小説の勉強会である。
 今でも、勉強会は毎月15日に代々木八幡社の講堂を借りて開催されている。
 しかし、長谷川伸没後42年が経過して、今ではその謦咳(けいがい)に触れた作家はごく限られている状態だ。
 また、長谷川伸の作品も絶版になっているものが多く、孫弟子に当たる私を含めて、長谷川伸を学ぶことが次第に困難になりつつある。
 同じような危惧を抱いた方がおられて、長谷川伸に関する貴重な資料や、長谷川伸の未完成原稿などを、自費出版しようということになった。新鷹会が続く限り、こういった書籍の登場はありがたいし、長く役に立つものと思われる。そこで、私は、その自費出版に全面的に協力することにした。
 しかし、いかんせん、私は能力がないくせに、好奇心ばかり旺盛で、仕事をどんどん取り込んで、常に超多忙である。
 今回の協力は、新鷹会のためになることなので、新鷹会の負荷を減らすことで帳尻を合わせることにした。つまり、勉強会への出席回数を減らすことである。したがって、明日は勉強会を欠席する。そうすると、時間と費用が大いに節約でき、滞っている様々の仕事ができることになる。
 とは言え、目的は、この自費出版を成功させることで、何とか、今年の長谷川伸の命日、6月11日、遅くとも今年の6月末に開催される長谷川伸の会までに出版させたいと思っている。

1月18日(水)「和算の問題が解けなくて面白い?・・・の風さん」
 この間、中3の次女が「お父さん、この問題、教えて」と言って、数学の幾何の問題を持ってきた。図形の問題は、正直言ってあまり得意ではなかった。それでも、和算小説家としては、「どれどれ?」と威厳を見せながら、問題をチェックした。
 三角形の相似に関する問題だった。一瞬解けるかな、とナメてかかったら、ダメだった。補助線を引く位置が分からない。難問なのではなく、私が中学時代に不勉強だったからである。
 「他の問題は、こうやって解くんだよ」と次女に教えられて、ようやく補助線の引き方が分かって、何とか解けたが、次女に教えられたも同然だった(冷汗)。
 今年も一関市博物館「和算に挑戦」が始まった。知り合いの博物館員の方からメールが来たのである。今年は、とても忙しいので、知らんぷりを決め込もうとしていたのだが、とりあえずホームページを開いて、問題を見てみたところ、無性に解いてみたくなった。得意でもないくせに数学は好きなので、血が騒ぎ出したのだ。
 その旨メールで返信したら、
 「禁断の扉を開けてしまったのですね」
 と来た(やれやれ)。何とかしてほしいなあ。
 実は、先週の12日から私は超不機嫌で、今夜も眠れぬ夜が深々と更けていた。それで、一関市博物館の「和算に挑戦」の上級問題にチャレンジしてみた。
 ・・・面白い。解けないくせに面白い。解けそうで解けないのが面白いのだ。ビョーキかもしれぬ。

1月20日(金)「久しぶりの横須賀・・・の風さん」
 久しぶりに横須賀へ行ってきた。『怒濤逆巻くも』の取材で久里浜のペリー上陸地、ヴェルニー公園や横須賀市自然人文博物館を訪問したことがあって以来である。
 長谷川伸に関する自費出版を計画されている方が、横須賀在住なので、その打合せを目的として足を伸ばしたのである。今回は、先方のアクセスを考えて横須賀プリンスホテルで落ち合った。
 既に、出版の趣旨や本の体裁については、手紙や電話である程度相談してあったので、今日は、実際にお目にかかって再確認することが最大の目的だった。そう。つまり、初対面だったのである。
 私も長谷川伸に関する参考文献をいくらか持参したが、先方もどっさり持ってこられた。ほとんど私に下さると言う。貴重な資料が多いので、いちおう預かっておき、将来、長谷川伸記念館が作られるときにでも提供しようと思う。
 とにかく、現在入手が困難になってきた長谷川伸の著書や参考文献が多い中で、自費出版とはいえ、新たな本が出ることは意義がある。読者は不特定多数とは言いながら、やはり新鷹会の勉強会に参加してくる後進をターゲットにするべきかなとあらためて思った。
 約1時間半の打合せを終えて別れたが、奥付に長谷川伸先生の命日6月11日を明記できるように、これから進めていくことを誓い合った。

1月23日(月)「オムレツと家族の一体感の関係・・・の風さん」
 昨夜はオムレツを2個食べた。最近、オムレツをたくさん食べている。オムレツ教に信心しているわけではない。健康オタクになったわけでもない。長女が調理師の専門学校に通っていて、かなりテンションが上がっている。学校の勉強は嫌いだったのに、調理の勉強は向いているのか、非常に良い成績を上げている。こうなると、どこまでもこの位置をキープしたくなるのだろう。就職にも響く。鯵の開きやら鳥のさばきやら、連日特訓が続いている。特訓は副産物として、ご飯のおかずができる。たくさんできる。それで、食べる。たくさん食べる。
 今朝、目が覚めて、カーテンを引いて外を眺めたら、真っ白だった! また、雪である。これでは、ミッシェルがスリップして出勤できない。会社を休もう、と一瞬喜んだが、週明け月曜日は、そんなことをしている余裕はない。それなら、電車とタクシーを利用して出社か・・・やれやれ、とため息をつきながら起床した。
 幸い、雪は屋根の上だけで、地面は濡れているだけだったので、ミッシェルで出社した。
 ・・・(超多忙な会社生活)。
 帰宅したら、家族が食卓を囲んでいた。受験生の次女の実力テストの成績が上がっていた。長女の専門学校の成績が非常に良いので、ご褒美をねだられた。父親は娘に弱い。
 「ディズニーランドとディズニーシーの両方に行きたい」
 「いいよ。@@@(次女の名前)が希望校に合格したら、二人ともディズニーランドとディズニーシーに連れて行ってやろう」
 「わーい(合唱)!」
 「**(長男の名前)は、猫と亀とメダカの世話があるから留守番だな」
 「(-_-;)」
 3人の子供らがチビだったときは、遊んでやっていればご機嫌だったし、常に家族の一体感があった。反抗期を経て思春期に入り、まるで親の血を引いていないような子供らの変貌に愕然としたものだ。それが、いよいよそれぞれの進路を歩み始める段階になって、ある程度、子供らの希望に沿う形で、親としてバックアップするようになったら、再び家族の一体感が出てきた。不思議なものだ。

1月26日(木)「呪文をとなえる風さんの巻」
 ここのところ気まぐれ日記が途切れがちで、多くの読者から心配されている(嘘つけ)。
 基本的に私の知り合いが、私と私の家族の様子を、楽しくチェックするために読んでいるらしいので、ま、便りのないのは無事な知らせだと思って、我慢してもらうしかない・・・が、こと私に関しては決して無事とは言えないので、今この文章を読んでいる「あなた・・・じゃなくって、貴女!」私に励ましメールを送ってください。
 さて、と。久しぶりにメチャクチャの内容で埋め尽くしてみよう。
 昨夜、会社から帰宅したら手紙が来ていた(別に珍しいことではないが)。差出人の方(新鷹会の関係)は昨年から体調を崩されているので、ちょっと開封するのに勇気が必要だった。それで、食事後に、やっと中を確認したら、不安は的中した。体調が悪いので活動を停止するようなことが書かれてあった。私はその文章の背後に、遠くない死の訪れに対する覚悟を読み取ったので、すっかり悲しくなってしまい、ソファで横になると、そのまま暗い穴の底に吸い込まれるように眠りに落ちてしまった。
 目覚めたのは午前1時過ぎだった。もちろん気分爽快とはお世辞にも言えない。嫌な気分だった。それから入浴し、だんだん目が冴えてきたので、書斎に入り、とにかくあれこれしながら時間をつぶしていた。執筆活動はおろかまともな雑用すらこなせなかった。結局、もらった手紙に関するメールを方々に出した。
 眠くなってきたというより、空腹になってきたので、少しじっとしていようと、5時半頃にベッドにもぐりこんだが、やけに寒かった。身体ではなく心が冷えていたような気がする。
 7時に起床して、今日もおとなしく出社した。
 超多忙な会社生活だったが、ひとつくだらないトピックスを書いておこう。社内メールがたまり過ぎていたので、昨年末までに受信したメールをすべて削除した。だから、受信メールボックスには、今年つまり今月もらったメールしか入っていない状態だ。これで未読メールがだいぶ少なくなったと思いきや、未読メールはまだ1221件もある。「くそ」と呟きながら、あるメールに返信を書いて処理し、更新したら、また新着メールが3通届いていた。タイトルだけで開いていないメールが赤い字で画面いっぱいに並んでいる。
 帰宅して、やや遅い夕食を食べ終えたら、次女が期末テストの成績表とケータイを持ってきた。成績が下がったので、ケータイを自ら差し出してきたのである。愚か者め。そんなことで志望校に入れると思っているのか。
 気分を害した状態で新聞を開くと、なに!?「一夫十妻男を逮捕」だと? 56歳の男が二十代の元妻と現妻10人と同居していたと書いてある。信じられない! よく読んでみると、呪文をとなえると女は皆自分を好きになったとか。嘘つけ! 試しにワイフに向かって、呪文をとなえてみた。「金がない。金が欲しい・・・」すべて呪文をとなえ終わらないうちにワイフの姿は忽然と消えていた。これが現実だ。
 最後に、もう一度、冒頭の呪文をとなえてみよう。
 今、この文章を読んでいる貴女! 落ち込んでいる私にメールください(←フリーメールアドレス。ただし、全角大文字なので英数小文字に変換して再入力してください。メールアドレス収集ロボットプログラム対策のため)!

1月27日(金)「呪文では和算の問題は解けない・・・の風さん」
 呪文の効果は現れない(愚痴)。
 出社して、午前中、しばらくぶりに現場を見て回った。見れば見るほどやるべきことが頭に浮かんでくる。
 昼休みに、30分ほどだったが、また和算の問題に挑戦した。進展なし。会社の同僚の中で、ある女性が興味を持ったそうで、問題を持ち帰った。来週、私が解けないのに、「答えが出ました〜」と持ってきたらどうしよう。
 今夜は、名古屋のホテルで会社の部次長会の新年会があるので、早めに退社した。狙いは、大抽選会。その場で海外旅行が当たるのだ。当選確率は恐るべき高さである(書けるが、あえて書かない)。
 名古屋までは帰宅してから電車で行きたかったので、途中、ミッシェルに給油し(燃費は10km/L)、電気屋に寄って電動歯ブラシを購入し(毎月デンタルケアで2000円以上かかっているので、そろそろ我慢の限界)、ケータイ・ショップに寄って、機種変更したばかりのケータイの苦情相談をし(まるで取り上げてもらえなかった)、そんな寄り道ばかりしていたので、名古屋のホテルにはかなり遅刻して入場した。
 懐かしい顔ぶれと歓談できるのは楽しいが、ついつい仕事の話になってしまう。来週、社長報告があるので、そのための重要な情報をゲットできたのは良かった。大抽選会の最中も、あちこちから話しかけられ、精神を集中させられないでいるうちに、抽選は終わってしまった。私の握り締めていた抽選券「550番」は、かすりもしなかった。重い足を引きずって帰途につき、また電車に揺られ、ようやく10時前に家に着いた。
 それから、これが最後の挑戦というつもりで、午前2時まで和算の問題に挑戦したが、結局、ダメだった。
 今日一日、呪文の効果も現れなかった。

1月28日(土)「今日こそ執筆再開・・・の風さん」
 目が覚めて、何となくスッキリ感があった。時計を見ると、既に正午を過ぎていた!
 今日こそ執筆に専念、と思いつつ階下に降りてさっさと昼食を摂ろうとしていたら、ワイフから、「もうすぐ電気屋さんが来るわよ」。そう。やっと石油ストーブの残工事が終了するらしい。
 昼食を終えて間もなく、電気屋がやって来た。とりあえず運転できるようにはなるらしいが、まだ屋外の石油タンクの交換はできないとのこと。やれやれ。
 電気屋が工事をしている間に、開いたドアからシルバーがのそのそと逃げ出して、ワイフが捕まえてくるという、ほのぼのした事件があった。人見知りするペコはどこかへ雲隠れしていて、発見できなかった。外へ逃げたのかもしれない。
 あっという間に夕方になった(そりゃそうだろう。起きたのが遅すぎる)。
 執筆に着手したのはいいが、モーレツに眠くなってきた(これは誰も信じてくれないだろう。私だって信じられない)。夕食前にウトウトしてしまった。
 夕食後、試運転中の石油ストーブを仔細に点検してみると、あちこち不具合が発見された。明日、電気屋へ連絡しなければならない。私の役割だ。
 今夜は、もう和算の問題はやらない。執筆のみ。そして、昨日購入した電動歯ブラシを使ってから寝よう。

1月29日(日)「日本文学への目覚め・・・の風さん」
 昨日気まぐれ日記を書いたときの決意というか自分への約束は、どこかへ吹っ飛んでしまった。
 そろそろ寝ようかと思って階下へ降りて行ったとき、ソファで寝ている受験生を見てぶち切れた。私もよくそこで寝てしまうので分かるのだが、実は出窓の横で、カーテンを閉めていないと、すごく寒いのである。
 「風邪引いたらどうするのだ?!」
 ・・・。
 家庭内の修羅場はとても書く気になれない。
 その後、私は午前3時近くまで、気晴らしにダイニングで会社の仕事をした。週末の社長報告の原案ができた。小説を書くという創造的な仕事に比べれば、会社の仕事など気楽なものだ。私のヘマぐらいで会社はつぶれないし、助けてくれる仲間がわんさといるからだ。安心して作業ができるのである。
 調子の狂いは今日も続いた。
 石油ストーブの不具合を電気屋に相談したのは、まだたいしたことではなかったが、その間に、亡父の一周忌のことで計画が大きく変更されたのである。そのために、お寺へ電話して都合を確認したり、飛行機やホテルの予約ができるかどうか確認したり、煩わしい作業が延々と続いたのである。実家の方との電話のやりとりも何度も繰り返された。
 結局、スケジュールが確定したのは午後2時頃で、それから昼食を摂り、また昨夜のように精神的にダメージを受けた私は、会社の仕事の続きをダイニングで再開した。たいして頭を使わなくてもできる、こういった仕事はナント気が楽なのだろう。こんなことで「うつ病」になる人がたくさんいるのが不思議だ。
 「そりゃ、あんた、あんたが、そういった仕事に向いてはるのとちゃいますか?」
 妖しい天の声が聞こえてきそうだが、「ええい、黙れ!」だ。
 晩御飯の前に、藤原正彦先生の『国家の品格』を読み終えた。こういう当たり前のことをなぜ教えなくなったのだろう、と不思議に思う。情報氾濫の中で、目の前や周囲にある美しいものに気付く目や耳をどんどん退化させているのに違いない。『国家の品格』を読んで、日本文学に関わっていることをますます誇りに思えるようになった。残りの人生の中で、少しでも多くの本を読み、少しでも文学と呼べるものを残そう。

1月30日(月)「和算に挑戦、背水の陣・・・の風さん」
 一関市博物館の「和算に挑戦」の締め切りが明日に迫った。が、未だに突破口を見出せない。解法に挑めるのは今夜だけである。背水の陣と考えた私は、会社へ和算の関係の本を持参して、昼休みに同僚と検討会を開いた。やはり相当に手ごわいことを実感した。
 帰宅して、書斎で雑務をこなした後、最後の無駄なあがきに挑んだ。これまでのやり方では行き止まりになるので、ちょっと違った解法に取り組んでみた。残念ながら解答には至らなかったが、きっと難しい問題に違いないと考えた私は、ずばりの答えではなく、答が存在する範囲を示すことにした。
 答案を清書して封筒に納め、一関市博物館の知人に恨み言のメールを送ったのが、午前2時過ぎだった。
 就寝は午前3時過ぎである。
1月31日(火)「つづき」
 午前7時に起床した。眠かった。
 午前7時半に、昨日検討会をした同僚からケータイにメールが入った。
 「答が出ました!」
 ガーン! 開くと、きわめて美しい整数解。
 円や半円がぴしっと接した図形なのに、それらの直径や半径が、ものの見事に整数となっている。
 こんな美しい答になる問題を発見した和算家は、やはり美意識に優れていたのである。
 私の答は不完全だったが、この悪夢の2週間に終止符を打つためにも、そのまま投函した。
 昼休みにも和算の問題が頭にちらついたが、やはり解けないものは解けない。

06年2月はここ

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